「書いてる人がどういうレベル(麻雀的な意味で)なのか」
によって話がだいぶ違ってくるだろうと思うので、ちょっと麻雀履歴書を書いておこうと思います。
■高校時代
・すでにフリーデビューしていた中学時代の同級生キングカス(市川寛子)に、セットの面子あわせの為にルールを教え込まれる。
・年に数回同級生と卓を囲むだけ。
・時間をかければなんとか点数計算はできた。
■大学時代(前期)
・フリーデビュー。手がぷるった。
・フリー雀荘で天鳳元八段桜井アソコと出会う。
・インチキくさい小手返しを習得。
■大学時代(後期)
・点5の雀荘に常駐するようになり、自然な成り行きで雀荘メンバーとしてのバイトを開始。
・麻雀能力的にはピークを迎える。4年時には点5で確実に浮いていた。
■雀荘店長時代(大学卒業後1年だけ)
・就職活動もせずに麻雀ばかり打っていたら、間違えて店長になっていた。
・麻雀界の某カリスマ氏の弟子の方が多く来店する店だった影響か、高速(打牌的に)かつ攻撃的なスタイルが定着。
・点数計算能力がピークを迎える。
■社会人時代(今も社会人ですが)
・週末にフリーにいく程度の頻度になると同時にひどく能力が減退。点数の誤申告を繰り返し、70符にいたっては思い出せない。メンチンの待ちを間違えたり、「ロン」発声でツモあがったり、とにかくグダグダ。
・スタイル的には攻撃的を通り越してただのゼンツに。
■天鳳開始(2007/10~2008/2)
・八段として最盛期を迎えていた桜井アソコの勧めで天鳳を開始。
・2008年1月特上に上がると同時にロング確変をひきあて、平均順位は1月2.35(231戦)、2月2.36(429戦)。しかし2月の後半からひどい地獄(実力モード)をひいてめんどくさくなり一時引退。
・雀ゴロとして成熟期を迎え、行き着けの雀荘では「集金マシーン」と呼ばれるまでになっていたキングカス(市川寛子)に天鳳を紹介。最初は馬鹿にしていたが、結局はまって打数ランキングの常連に。集金しにいけ。
■天鳳再開(2008/7~)
・久々に戻ってくるも大苦戦し、いきなり6段から5段に降段。天鳳の打ち方を忘れているのあるが、特上R制限のせいでレベルが格段に向上していることも影響し、ラスの山を築きながら現在に至る。
▼08/08/31現在の成績(解析ツールは最近の500戦)

※旧特上の成績が公式と違うのはなぜだろう。


この強烈に高いラス率と放銃率をどうにかしないと・・・。